【無念!遂にこの日が来てしまった!】2024年11月30日(土)
明日2024年12月1日、訳あって横須賀を(逃げるようにして)出ていきます!
全ては自分の不徳の致すところ故です。 (ただハッキリしていることは変な圧力とか嫌がらせとかでないことだけは断言します!)
15年程前に東京から逃げるようにしてここ横須賀の街に。最初はペリー公園の裏4畳半一間のカビだらけの部屋に転がり込んで…、仕事が定着して観光協会にも入り、野比のキレイなアパートに引越して徐々に友達や仲間もできて、さぁこれから・・・という時に、無念です。残念です。悔しいです。もう何とも言えない断腸の想いです。
この結論に至る1か月間は、まさに究極の選択の日々でした。そして、この決断に至った今は失意のドン底で完全に意気消沈しています。つまり15年前に戻るだけです。そう思うより他にはありません。(ただ仕事があるだけ有難いです)
今は理由を言いたくないし誰とも会いたくはありません。だから、黙って出ていきます!
特に「横須賀活性化推進協議会~横須賀に住もう!」プロジェクト活動に御支援下さいました方々には本当に申し訳ない思いでいっぱいです。直接お礼とお詫びの御挨拶ができず申し訳ありませんでした・・・
最後に・・・この街で暴れた爪痕を残していきます!
数えきれないほど沢山の皆様に出会い刺激を受け、悔いだらけだけれど精一杯走り続けた1年半!
大好きだった”横須賀”、お世話になった皆様、応援下さった方々、本当に有難うございました。
またいつかどこかで出会えることを・・・・・・・・・・
さようなら、横須賀!
【やっとできた!】2024年11月6日(水)
とりあえず、ホームページらしきものができた。
そして、誰にも言えない”絶望”の始まり・・・・・
【何でこんな時に…】2024年11月5日(火)
以前より電柱広告を発注していた東電タウンプランニングから「電柱広告落成のお知らせ」
お分かりの通りここは横須賀市役所の裏通りです。
「もっと人通りの多い場所の方がいいのでは?」「なぜここ?」わかります!
でも、敢えてここに「横須賀に住もう!」の広告を打ったのです。
今、横須賀市がすべきは観光や賑わい作りと同時に「住む街 横須賀」をアピールすることです。
それを一切しない市長をはじめ市の職員の方々にアピールすることが目的です。
でも、もう今はそんなことを考え行動する気力が全くない・・・・・
【自分の運命を変えた輪島】2024年10月20日(日)~21日(月)
輪島の街に入った瞬間からずっと涙が溢れて止まらない!
自分が生まれた街、そしてかれこれ30回以上は訪れてきた心の故郷。
この写真は震災直後ではありません、震災から1年近く経った今です!
家が崩壊し車が下敷きのまま。未だに食事の配給で長蛇の列です。
そして、祖父のお墓に・・・あまりの光景に思わず大声で号泣してしまった!
多分、本当に絶叫に近い号泣だったんでしょう。
「大丈夫?あの日は本当に怖かったんだよ」って声を掛けて下さる方がいて我に返りました。
酸欠で暫く動けませんでした。
一人ではとても持ち上げられない墓石が1m以上もふっ飛んでいて・・・。
何もしてあげられないので、一番厚手のタオルを墓石に枕として置くことしかできなかった。
こちらに戻ってきて家が普通に立っている、それだけで涙が溢れてきます。
完全にメンタルやられました・・・・・
でも唯一の救いはあの朝市通りが壊滅した後、近所のスーパーの軒下で朝市が復活していたこと。
そしてこれが輪島の最後のショット!